
サステナブル
「ビーバー社員の雑”木”談」第二回をお届けいたします!
木を愛する「ビーバー隊」が、普段は見過ごされがちな”雑木”の魅力に迫るこのコラム。
ビーバーが木を積み上げるように、気ままな不定期更新となっております。
今回ご紹介するのは、クスノキ科ゲッケイジュ属の「ゲッケイジュ」です。
秋の夜長、澄んだ空に浮かぶ月を見上げる機会も増える季節となりました。月の模様といえば、日本では餅をつく兎を連想するのが一般的ですが、和歌山県那智勝浦町の下里という地域には、「月には桂男(かつらおとこ)が住んでいる」という、少し不思議な伝承があるのをご存知でしょうか。満月の夜に月を見ていると「桂男に連れて行かれるよ」と、少し怖い存在として語られることもあるそうです。
この桂男の正体は、古代中国の壮大な伝説「呉剛伐桂(ごごうばっけい)」に登場する主人公、呉剛(ごごう)です。彼は仙人になるための修行中に過ちを犯し、その罰として、月に生える巨大な桂の木を斧で切り倒すよう命じられます。この月の桂は、樹高が500丈(約1,500m)にも及ぶ巨木と伝わっており、その胸高直径も気になるところ。呉剛は賢明に斧を振り下しますが、斧の刃先が幹に深く切り込んでも、その傷は瞬く間に再生してしまいます。つまり、「月の桂を切る」という行為は、終わることのない罰の象徴。桂男、すなわち呉剛は、今この瞬間も、癒えることのない大木に向かって永遠に斧を振り下ろし続けています。
月からやってくる謎の桂男の正体は、静かな月面で、終わりなき贖罪を続ける男だったのです。
この壮大な伝説に登場する「月の桂」。実は、私たちが料理に使うハーブ、月桂樹の名前は、この物語にちなんで名付けられました。しかしここから、少し複雑な言葉の旅が始まります。
月桂樹は、その名に「桂」とつきますが、植物学的にはカツラ科ではなく、清涼感のある芳香を持つクスノキ科の樹木です。なぜ、このようなねじれが生まれたのでしょうか。
その鍵は、中国における「桂」という漢字の使われ方にあります。もともと「桂」という字は、一つの樹木を指す固有名詞としてではなく、「香りが良い木」全般に対して一般名詞のような形で使われていました。古代中国の黄河流域でよく知られていた主な香木が、ニッケイ(肉桂)です。ニッケイは月桂樹と同じクスノキ科の植物で、その樹皮や根っこはシナモンやニッキとして古くから珍重されてきました。京都のお土産、八ッ橋のニッキ味は、このニッケイの根っこから取れる材料を使用しています。日本では、同じ仲間であるヤブニッケイが西日本を中心に分布しており、同じく樹皮や根っこを削るとシナモンの香りがします(ちなみに葉っぱは香り付き消しゴムのコーラの香りがします)。「桂」はまず、このニッケイの仲間を指す言葉として定着したようです。
※ゲッケイジュとローレルは基本的に同じ樹木を指しますが、木材の世界では標準和名がゲッケイジュに該当しない木をローレルと呼び分ける場合があるようです。
時代が下り、中国南方の開発が進むと、北方の人々は新たな「香りが良い木」と出会うことになります。秋に甘い香りを放つモクセイ(木犀)です。そうこうしているうちに、「桂」という言葉はモクセイを指すことが多くなり、現代中国語では「桂」と言えば一般的にはモクセイのことを指すまでになりました。現代日本でも石鹸の香りづけとして人気が出るなど、香りのする花として、真っ先に思い浮かべる人も多いのではないでしょうか?
このように、「桂」という一文字は、時代と共にニッケイやモクセイといった、異なる樹種を指し示してきたのです。月桂樹もまた、その芳香ゆえに「桂」の名を冠するに至ったと推察できますね。
さて、中国の問題が解決したところで、日本に目を移します。日本で「カツラ」といえば、全く別の植物が存在します。カツラ科カツラ属の落葉高木で、北海道から九州までの冷温帯、特に渓流沿いを中心に分布。秋が訪れ、ハート形の葉が黄色く色づく頃、森を歩いていると、どこからともなく綿菓子やキャラメルを焦がしたような甘い香りが漂ってくることがあります。この香りの正体が、カツラの落ち葉です。街路樹に植えられることも多く、東京では霞が関にカツラ並木があって、この時期に通ると殺伐とした霞が関に、突如、良い香りがふわっと漂ってきます。
この香り成分は「マルトール」という物質で、葉が老化したり乾燥したりすると生成されます。一説によると、「香りが出る」ことを意味する「香出(かづ)る」が転じて「カツラ」という名になったとも言われ、その甘い香りは古くから人々に親しまれてきました。地域によっては「ショウユノキ」とも呼ばれていたそうですが、個人的には醤油ではないと感じます。もしかしたら甘い醤油が好きな九州の人が命名したのかも?
古代中国の「月の桂」伝説から始まった私たちの言葉の旅は、月桂樹(クスノキ科)、ニッケイ(クスノキ科)、モクセイ(モクセイ科)という言葉の迷宮を越えて、日本のカツラ(カツラ科)へと帰ってくることができました。
さて、物語の舞台を東洋から西洋、古代ギリシャ・ローマへと移してみましょう。中国で「終わらない罰」として斧がおろされ続けていた月の桂。その名を継ぐ月桂樹は、西洋では全く逆の、「栄光」と「勝利」のシンボルとして輝かしい地位を築いていました。その背景には、ギリシャ神話の物語があります。
太陽神アポロンは、ある日、弓矢で遊ぶ愛の神エロスを「子どもの遊びだ」とからかいます。プライドが傷ついたエロスは激怒し、復讐を企てます。彼は二本の矢を放ちました(やりすぎでは?!)。一本は、恋心を目覚めさせる金の矢。もう一本は、あらゆる愛を拒絶させる鉛の矢。エロスは金の矢をアポロンに、そして鉛の矢を、近くの川辺で遊んでいた美しいダプネーに射込んだのです。
ダプネーへの激しい愛にとらわれてしまったアポロンは、彼女に求愛し続けますが、鉛の矢を受けたダプネーにとって、アポロンの愛は恐怖です。彼女は必死に逃げ惑い、ついに岸辺まで追い詰められてしまいます。もはや逃げ場はないと悟ったダプネーは、父である河川の神に自身の姿を変えるように祈ります。
その願いが聞き届けられると、ダプネーの体は大地に根を張り、手足はしなやかな枝葉へと変わり始めました。彼女は月桂樹に姿を変えたのです。ひどく悲しんだアポロンは、永遠の愛の証として、月桂樹から冠を作り、月桂冠として身に着けましたとさ。
この神話から、月桂樹はアポロンの聖樹とされました。また、この神話と旺盛な成長力があいまって、その枝葉で作られた月桂冠は、詩人や英雄、競技の勝利者に与えられる最高の栄誉の象徴となりました。ジャン・ロレンツォ・ベルニーニの彫刻『アポロンとダフネ』は、まさに彼女の指先が葉に変わり始める劇的な瞬間を捉え、この悲恋の物語を現代に伝えています。
一つの植物、月桂樹。その名を巡っては、東洋では「終わらない罰」、西洋では「報われなかった愛と、そこから生まれた永遠の栄光」という、二つの全く異なる、しかしどちらも強烈な物語が宿っています。
日常で何気なくスープの香りづけに使う一枚のローリエ。その背景には、月面で斧を振るい続ける男の孤独と、神の愛から逃れるために姿を変えた乙女の悲しい決意が横たわっているのです。
私たちが木材や植物に触れるとき、その背後にある物語を知ることは、空間に計り知れない深みとストーリー性を与えてくれます。一本の柱が、一枚の葉が、単なる物質ではなく、文化と歴史を内包した語り部となります!
今後もこの連載では、皆様のインスピレーションを刺激するような、木々とそれにまつわる豊かな世界をご紹介してまいります。どうぞ、ご期待ください。
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